HOME > KiRANA Sari blog > あの日あの時: 2011年5月アーカイブ

KiRANA Sari blog あの日あの時: 2011年5月アーカイブ

Action for Japan①

 

P1050154.JPG2日の月曜日、サロンの定休日を利用して石巻市の雄勝町にある名振コミュニティセンターというところに行ってきました。そこは70名ほどがいらっしゃる避難所で、大半がお年寄りという場所でした。
そこは漁業の町で、行った日も男性の方たちは漁再開に向けて海の瓦礫撤去に出かけていました。

僕の高校の同級生の弟で、カットしに来てくれている知り合いと連絡を取り、シャンプー&マッサージとカットをさせてもらいにお邪魔しました。その子も漁師をしていて、最近結婚したのですが2カ月で新居が津波に流されてしまっていました。

避難所の状況はと言うと、電気はガソリンのとソーラーパネルの発電機があり、ガスはプロパンだったので瓦礫に埋もれている中から使えるものを運んできて使用していました。食糧や衣類は物資で送られてきたりしていて困っているというほどではなく、週に2回ほどは女川にある自衛隊の仮設風呂に行って入浴はできているようですが、毎回全員が行けるわけではないようでした。

事前に聞いていた足りない物資(お客様から頂いた義援金で購入させていただきました。)と、シャンプー剤やドライシャンプー(ディーラーさんから提供して頂きました。)などを寄付し、持参した発電機(スタッフの知り合いからお借りしました。)でポンプを動かしながら、移動式のシャンプー台(これもディーラーさんからお借りしました。)でシャンプーをし、マッサージやカットをさせてもらうと、みなさん「すっきりした―」「頭が軽くなったー」と喜んで下さいました。
他にも運搬用のトラックや、水を温めるための器具など、たくさんの方からご協力いただきました。スタッフも朝早い集合と乗り合っての移動での疲れを感じさせず、いつも通り、もしかしたらいつも以上の笑顔で応えていました。
本当にたくさんの方からのご支援・ご協力の下、今回のボランティアが実現した事を心から感謝し、それに応えられるくらい、ありったけの気持ちを届けて来た事をご報告します。

 

P1050165.JPG日が経つにつれ、漁をするための道具や船など入手するのが難しいものの需要が高まっているようで僕らが出来る事は少ないという無力感もありましたが、逆に僕らにしかできない事が確かにそこにはあった事も感じました。

これを一時のブームにせず、みんなが本当に安心して「普通」の暮らしが出来る日まで僕らは僕らに出来る事をしていこうと思います。


1

このページのトップへ